やまむーめも

日々の生活と好きのふりかえり

続・やまむー的、サディスティックについてのおはなし

 今回のおはなしは前回の補足です。今回は本題に入る前のお話は特にネタもないのでありません。まあ今回も相変わらず思うままに書くので読みづらいかもしれません。

 

 まずはそもそものおはなしです。今更こういうことを言うのはアレなのですが、自分はどこまでMなのかという問題です。つまりどういうことかというと私は「どえむー」などという蔑称がつくほどなわけですが、世の中のそういった方々と比較してほんとにそれほどなのか、ということです。これについては前回の記事でも書いたとおりぬるい部分があるため疑念が残るわけです、自分でも。

 これについては他人の認識があるため自分の認識もそうなっているという可能性があるのではという考えがあります。まあ私にMの気があることに変わりはないですし、他人からの認識ということに関してはどうしようもないのですが。

 

 次にSとMの表裏性のおはなしです。よくSとMは表裏一体とされることもありますが、私はどうなのかということです。なかなか難しいのですが、この表裏性、私にもあると考えています。別に暴力的なことが好きというわけではないですが、一般的に見ればアレなことで喜びを感じるというのはあるので、そういう側面があるのかもしれません。前回に続いて、焦点は「キャラ」に置かれていますが。

 

 こうして考えてみると、人の嗜好というものはなかなかに定義づけるのが難しいのかもしれません、自分自身ですら。まあでも自分でもなかなかにひどいと思ったのが、拒絶のされたくなさ・受け入れてほしたさというのが非常に濃いような気がするということです。前回も書いた通りサディスティックと拒絶はイコールではないと考えていますが、これじゃあ甘えてるのと変わらない気がしますね。悪いことではないと思いますが。

 

 補足的内容のつもりが、いろいろとよくわからなくなってきましたね。まあ次回こそ別のネタです。それではまた。